「死者は爆発的に次から次へと…」中国で使われた細菌兵器

2002年8月、731部隊による細菌兵器で被害を受けたとして、中国人の遺族らが日本政府に賠償と謝罪を求めた裁判。最高裁まで争われ、賠償請求は棄却されたが、細菌兵器で大勢の中国人が死亡した事実を司法が初めて認めた。
だが翌年、当時の小泉内閣は…

「外務省、防衛庁等の文書において、関東軍防疫給水部等が細菌戦を行ったことを示す資料は、現時点まで確認されていない」

裁判で原告団の代表だった王選さん。自身も、おじを細菌兵器によって亡くしている。

留学生として来日して以降、長く日本に滞在したのち、支援を得て浙江省義烏市に細菌戦に関する展示館を建設。細菌戦の事実を次世代に伝える活動をしている。

細菌戦被害裁判の原告団代表 王選さん
「一番、日本軍が細菌兵器を使用したのは、浙江省です」
――どのくらいの人が被害に遭ったかというのはわかっているのですか?
王選さん
「義烏市内は現在、私たちの調査によると(細菌兵器による被害者は)1300人や1400人ぐらいです」
日本政府の対応については…

王選さん
「反省しなければいけない。日本にとってはマイナスの遺産」
――中国の人にとってはどうですか?

王選さん
「歴史を正確に記録する。目的は、やはり被害者の命の尊厳を守る、一つですよね」
王選さんの案内で、母や妹が亡くなったという96歳の男性に話を聞くことができた。

王基木さん
「私は当時16歳。母はわずか35歳、妹は12歳でした。いとこは15歳でした。死者は爆発的に次から次へと広がって、それから村は焼かれました。毎日20人ぐらいが死んでいきました」

義烏市のこの村では、日本軍が投下したペスト菌に感染し多くの人が亡くなったという。
王基木さん
「死体がたくさん出たので棺桶も足りなくて、そのまま土に埋められた人もいました」