同じく14歳で入隊した男性「細菌の『さ』の字もなかった」
清水さんは、ほかの隊員とも連絡を取っている。
清水英男さん
「お会いできてありがたい」
須永鬼久太さん
「どうもありがとうございます」

訪れたのは軽井沢町。96歳の須永鬼久太さんだ。清水さんより3年先、14歳のときに入隊した。
須永さんが、唯一ハルビンから持ち帰ってくることができたものがある。それがこのアルバムだ。


これは同じ年齢の隊員と撮影した写真。入隊したのは終戦の3年前。終戦間際に入隊した清水さんとは状況が異なり、自ら志願した部分もあったという。
731部隊の元少年兵 須永鬼久太さん
「そのころ日本中が軍国主義一色。いずれにしろ、年になれば兵隊に引っ張られると。同じ行くなら1日でも早く行って少し偉くなった方がいいなって気持ちはありましたね」
731部隊の正式な名称は「関東軍防疫給水部」。本来の目的は、疫病対策や飲料水の確保であり、細菌兵器を扱うとは思わなかった。

須永鬼久太さん
「関東軍防疫給水部というのはわかっていた。ただ、防疫給水部ということは字の通りですから。細菌の『さ』の字もなかった」

須永さんが配属されたのは焼成班。ペスト菌など細菌に感染させたノミを入れる陶器製の爆弾容器を作るのが仕事だったという。
須永鬼久太さん
「(爆弾容器は)800度ぐらいで素焼きする。それから瀬戸物は上薬を塗って、また1200度くらいにして。形は普通の筒型みたいなもの。これが細菌爆弾だなと初めてそのときにわかった」
この細菌爆弾の実験が繰り返し行われたという。

ハルビンから西へ約150キロ。安達という町に実験場の跡地として看板が立っていた。須永さんも安達の実験場を訪れたことがあるという。

捕虜は十字架に貼り付けられた上、円上に立たされる。その真ん中でペスト菌などの爆弾を炸裂させ、感染するかどうか実験したという証言もある。
須永鬼久太さん
「安達の演習場ではマルタを何mおきか、あっちこっちに散らばせて、(細菌爆弾を)落として何時間後に発病したとか、何時間後には熱が出たとか、何時間後には死亡した。そういう研究をしていたのではないか」
731部隊で作られた細菌兵器は実戦で使われた。浙江省の義烏市や付近の村など中国各所で多くの住民が亡くなったという。