全盲の記者 記事で“見えないを可視化”
記者を志したのは、ある事故がきっかけでした。

佐木さん
「ちょうどこのあたりなんですよね。今から30年近く前ですかね、生まれて初めて『助けて』と大きな声で救助を求めたのを覚えています」
大学生のとき、誤ってホームから転落。電車にひかれ、大けがをしました。

今では整備も進んできていますが、当時、現場にホームドアなどはありませんでした。

佐木さん
「私ひとりの問題かと思ったんですけれど、実はすごく多くの方が転落していることが分かった。目が不自由で見えない見えにくい人が『ひとりじゃないよ』ということを広く伝えられる記者になりたいと思うようになった」

2005年、毎日新聞に入社した佐木さん。駅のホームや踏切での事故の取材に特に力を注いできました。なぜ事故が起こったのか、どうすれば防げたのか。自ら現場で取材し、伝え続けています。
佐木さんは毎日新聞にも連載を持っていて、目の見える人に向けても発信をしています。
喜入キャスター
「佐木さんは記者として『見えない』ことをどのように捉えていますか」

佐木さん
「あまり見えないことで悩むのは、実はそれほどないんですよね。一番悩むのは目が見えないことではなくて、もうちょっとうまく記事が書ければよかったかなというところに結構悩み、苦しみ、もがくところが大きくて。見えないなっていうところで苦しむことは、ないと言っていいと思います」
今、思うことは…

佐木さん
「目が見えなくなった中学生のときの自分に、『頑張っているよ、それなりに踏ん張っているよ』 と胸が張れるような人になればいいかなと。一番のライバル、意識しているのは見えなくなったときの自分かな」
妻・佳哉子さん
「おー」