“泡沫候補”の総裁選 高級ホテルではなく無料の議員会館

いざ迎えた総裁選。たとえ他の候補と同じ土俵に乗ったとしても、陣営の幹部に言わせれば無派閥の野田氏は「どこまで行っても泡沫候補」だった。
それは資金力の差にも現れた。
大きな後ろ盾を持った他の陣営は、選対本部を高級ホテルに構える一方、野田陣営は無料で使える議員会館の一室にペットボトルのお茶。
また、ある陣営が莫大な資金を投じ、自動の電話システムを用いて党員に対して支持を呼び掛ける「オートコール」を導入するなか、野田陣営は持ち出しの携帯電話で地道に「訴える」のみ。まさに手弁当の選挙戦だった。
物量で勝てないのは一目瞭然。陣営は野田氏本人のキャラクターを最大限活用する作戦に打って出る。
野田氏は自身のライフワークでもある少子化対策「こどもまんなか」をキャッチフレーズにリベラル色を前面に押し出したのだ。
ときには森友学園問題の再調査を訴えたために党内から批判を浴びることもあったが、他の候補との差別化には成功した。
これには、「自民党の多様性をアピールできた(二階派・中堅)」と歓迎する意見もあったが、「だったら野党に行けよ(茂木派・中堅)」という冷めた声も聞こえた。
そして結果は。
〈国会議員票〉
岸田:146票 高市:114票 河野:86 野田:34
“泡沫候補”の挑戦、大惨敗だった。
派閥入り目指すも・・・“聖子ノート”に書きためる日々

総裁選後、野田氏は次の総裁選で勝利を収めるべく、距離を置き続けてきた“派閥”へと向かうことになる。親しい議員たちが派閥入りを助言していたからだ。
しかし、どこも門前払いだった。それらの派閥も決してイジワルをしているわけではない。
入閣の可能性が高い野田氏が派閥に入ってしまうと、その分“閣僚ポスト”が減ってしまうからだろうと陣営関係者は指摘する。
野田氏は派閥入りが頓挫して以降、原点に立ち返っていた。常に手元に置いているのはメモ帳だ。
32歳で初当選した際、中曽根康弘元総理から「政局、政策、人事、金についてノートに書き続けろ」と指導されたのをきっかけに、何十年もこの“聖子ノート”をアップデートしてきた。
書きためたのは、支持者の陳情から人物評、NATOとロシアの軍事バランス、果ては週刊誌の発行部数までも・・・。とにかく総理候補として力を蓄えることが重要だった。