津波で釜石の街が一変「違和感を言語化できない悔しさ」

2月、ホランキャスターが出会ったのは、釜石出身の佐々木千夏(ささき・ちなつ)さん(26)。

佐々木さんは中学1年生の時に被災。帰りのホームルームの最中、経験したのことのない揺れを感じた。その後、全校生徒約400人で学校近くの山に避難した。

ホランキャスター
「あの日、どのような思いでこの坂を登ったんですか?」
佐々木千夏さん
「喘息持ちだったので、寒い中小走りで来たら息が上がっちゃって。走るのも苦手だったので、ヒューヒューなりながら。もし津波が来て、頂上まで行けなかったら死んじゃうのかなって」

幸いにもこの場所まで津波は到達せず、佐々木さんの家族や自宅も無事だった。しかし、思い出のある釜石の街は流されて一変した。

佐々木さんは復興が進んだいまの街を見渡し、つぶやいた。

佐々木千夏さん
「ここに何があったのだろう。思い出さないことも悔しいですよね。小学生くらいまでの知っている街ではないという違和感はあるけど、それを言語化できない悔しさ。こんなに無くなるんだったらもっと覚えておけば良かったって」

「3.11は電車に乗ると涙が出る」東京で感じる孤独感と戦地への想い

高校生になった佐々木さんは、釜石でガザの子どもたちとの交流会や凧揚げに参加。さらに、ヨルダンの難民キャンプやパレスチナも訪れた。
そこで出会ったのは、同じように街を破壊された人々だった。自分たちが大変な生活を送っているにも関わらず、日本の震災の話をすると涙を浮かべて心配してくれた。

佐々木さんは大学の講義や、地元・釜石で開かれた勉強会でこうした体験を発信。伝え続けるのは、「忘れられること」の苦しみが分かるからだという。
現在東京で働く佐々木さんは、毎年3月11日になると自分だけが取り残されたような錯覚に陥ると話す。

佐々木千夏さん
「3.11は電車に乗ると涙が出るんです。皆が当たり前に電車に乗ってスマホをいじって何気なく生活していること自体が、自分だけが取り残されて別の国に放り込まれたような気持ちみたいな。世界中で戦争とかで苦しんでいる人たちもこういう気持ちで、やっぱりどこかで覚えていてほしいんだろうなって」