戦犯死刑囚 妻に宛てた遺書「悲しければ泣いて、泣いて、泣き通せ」でも「悲しさ、苦しさに溺れ、へこたれてはなりません」~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#113

戦犯たちが囚われたスガモプリズンで最後の処刑が行われたのは、1950年4月7日。米軍機搭乗3人を殺害した石垣島事件に関わった7人だった。そのうちの一人、28歳で命を奪われた藤中松雄には、福岡に残してきた妻と幼い二人の息子がいた。処刑が行われるのは、4月6日から7日に日付が変わってすぐの深夜。生涯最後の朝を迎えた松雄は、午前7時から家族それぞれに向けて遺書を書き始めたー。4月5日の夜、死刑囚の棟から連れだされて、…






































