ベッセント発言の真意と米国側の事情
ベッセント米財務長官が9月1日のG20後の記者会見で、(リフレ政策は)「アベノミクスで大きな成功を収めた。それを一巡させてリフレをやめるべきだ」(ロイター)と述べたことが市場で注目されている。ベッセント氏は日本の当局者との会談に言及したうえで、日本はリフレ政策の成果を享受する局面に入っており、従来の政策運営を見直すべきだとの認識を示した。
この発言の背景には、少なくとも三つの意図があるように思われる。第一に、債務問題が世界的な課題となる中、各国とも財政拡張路線を見直すべきだという考えである。第二に、金融緩和の長期化による円安やインフレ圧力が日本国内の物価上昇を通じて財政拡張論を後押ししているため、その構図自体を改めるべきとの問題意識である。実際、ベッセント氏は植田日銀総裁との会談でも、円安が日本国内のインフレ圧力の一因になっていると指摘している。
もっとも、第三の要因として米国側の事情も無視できない。現在の世界的な長期金利上昇を巡っては、日本の財政運営だけで説明することは難しく、その震源地は米国の財政問題や、ハイパースケーラーによる大型社債発行に伴う需給悪化懸念にあると筆者はみている。ベッセント財務長官は市場に対して米国の財政赤字はピークアウトしつつあるとの認識を示しているが、市場は依然として財政健全化の具体策を求め続けている。
その意味では、日本への注文には米国の債務問題から市場の関心をそらしたいという側面も含まれている可能性がある。各国の金利上昇圧力は複合的な要因によって生じているが、その中心に米国の債務問題が存在していることは否定できないだろう。引き続き、ベッセント財務長官が米国の財政健全化の具体策を示すことこそが、債券市場の安定化にとって重要である。また、仮にベッセント財務長官が財政健全化を重視している場合、その先には需要の抑制を通じて米経済の成長率やインフレ率が低下するリスク(長期停滞のリスク)も意識している可能性がある。そうなってくると、外需を喚起するために通貨安政策(ドル安政策)が望ましくなる。米政府にとって、経済競争力の観点から円安を是正したいという考えもあるのかもしれない。
「高市政権はリフレ政策を採っていない」という説明へ
では、ベッセント財務長官の発言によって日本側の政策運営は変化するのだろうか。筆者は、実体的な政策運営は大きく変わらない一方で、コミュニケーション面では一定の変化が生じる可能性が高いと考えている。
すでにSNS上などでは、リフレ派とみられる専門家から、ベッセント財務長官の批判は当たらないとの反論がみられる。その背景にあるのは、「高市政権はすでにリフレ政策を採っていない」という主張である。過去のリフレ政策によって日本経済はデフレ局面を脱し、現在は高圧経済に近い状況となっているため、需要を喚起するための政策はもはや必要ではないという説明である(ように筆者は受け取った)。
しかし、この説明には少なからず違和感も残る。これまで多くのリフレ派は日銀の利上げに否定的であったように思われるほか、飲食料品の消費税率引き下げは本質的には需要喚起を目的とする財政拡張策だからである。そのため、「現在はリフレ政策ではない」という主張は、政策内容の変化というよりも、ベッセント財務長官の批判を受けた政策の説明方法の変更に近い印象も受ける。
それでも政治的には、この路線が最も現実的だろう。ベッセント財務長官の批判を正面から否定するのではなく、「日本はすでにリフレ政策の段階を終えている」と説明することで、トランプ政権との不要な摩擦を避けようとする可能性が高い。
ベッセント発言を取り込みながら軌道修正へ
例えば、筆者が高市首相の立場(ないしは経済アドバイザーの立場)なら、次のように説明するだろう。
「ベッセント財務長官が言うように政府は民間部門の成長力強化を重要視すべき局面であり、供給力・成長力の強化こそが最大の物価高対策であり、財政健全化策である。すでに高市政権はそのように動いている。財政政策については、規模が拡大しがちであった補正予算を最小限にする一方で、限りある財源を効率的に成長投資につなげられるように、当初予算でじっくり議論している。また、日銀は断続的に利上げを実施しており、成長力を阻害しない程度の適切な調整を行っている。今後もトランプ政権、ベッセント財務長官とコミュニケーションを取りながら、最適なポリシーミックスの実現を目指す」
重要なのは、ベッセント財務長官の主張を全面的に否定しないことである。供給力強化や民間部門主導の成長重視という考え方は、高市政権にとっても受け入れやすい。そのため、高市政権はベッセント氏の主張を部分的に取り込みながら、自らの政策の正当性を説明していく可能性が高い。
積極財政色は徐々に後退する可能性
したがって、ベッセント財務長官の発言を受けて高市政権が大きく方向転換するとは考えにくい。しかし、その主張を受け入れる形で徐々に積極財政のトーンを落としていく可能性は十分にある。
筆者は、すでに高市政権のコミュニケーションは市場安定を意識したものへとシフトし始めているとみている。成長力強化や供給力向上を前面に出し、財政拡張色を弱める方向性は今後も続くだろう。
もちろん、政権のイメージが短期間で変わるわけではない。岸田元首相が「増税メガネ」と揶揄されたように、一度形成された印象は容易には消えない。しかし政治の世界では、イメージを修正するために従来とは異なる政策を採用することも珍しくない。岸田元首相が2024年の定額減税に踏み切ったことは、その一例であった。
高市政権についても、積極財政を支持する支持層への配慮は続けながら、実際の政策運営では市場との対話や財政規律をより重視する方向へと徐々に軸足を移していく可能性が高い。ベッセント財務長官の「リフレ政策批判」は、その変化を説明する格好の材料となるだろう。表向きの理念は維持されるとしても、実際には積極財政色が少しずつ薄まり、市場との共存を重視した現実路線へ近づいていくと筆者は予想している。市場のアラートを無視して政策が進むとも考えにくい一方、市場のアラートを受けて政権の主張が非連続的に変化するとも考えにくい。
(※情報提供、記事執筆:大和証券 チーフエコノミスト 末廣徹)