同書で紹介した11人のうち、大手電機メーカーを早期退職した後、中小の建設会社で働くKさん(62歳)は、定年後は「楽しく暮らす」ことを最優先と決めて、週4日勤務し、週休3日で夫婦で別荘へ行ったり、小旅行したりして私生活を満喫している。

Kさんは、新卒から大手電機メーカーで働き、管理職を務めていたが、57歳の時に、職場結婚した2歳年上の夫と揃って早期退職した。

夫婦で受け取った割増退職金が想定以上に多かったため、家計簿アプリの付帯サービスを利用して、フィナンシャルプランナーに活用の仕方を相談したところ、今後は思っていた以上の生活水準で暮らしていけると分かった。

そこで、仕事にまい進してきた現役時代から方針転換し、「これからは楽しく過ごそう」と、消費に軸足を置くことを決めた。

まずは、夫婦2人の割増退職金で住宅ローンを完済し、余ったお金で軽井沢に別荘を買った。せっかく別荘を買ったのだから、通いやすいようにと、坂の上にあった戸建てを売却し、新幹線駅に出やすいエリアに夫婦用のマンションを購入した。

引っ越してみると、近くに飲食店が少なく、夫婦で飲みに行く楽しみが減ってしまったので、再度、個人経営の飲食店が多い下町エリアに転居した。

この時60歳だったが、新しく住宅ローンも組んだ。仕事については、最初の引越しに合わせて、せっかく別荘へ行くなら2泊はしたいということで、週4日勤務の職場を探すことにした。

さらに、働き方も見直すきっかけとなったのが、1度目の再就職先での苦い経験だった。大手電機メーカーを早期退職後、最初はプライドもあって、年収1,000万円クラスの管理職の再就職先を探したが、希望通りの職は見つからず、何とか見つけたソフトウェア開発会社の管理職の仕事は、社長とそりが合わず、業務負担も大きく、メンタルを病んで退職した。

そこで2度目は、「役職や権限を手放して、気持ちよく、ほどほどに働く方が今の自分には大事」と考え直して、現在の建設会社が出していた「庶務」の求人に応募したところ、社長から手腕を期待され、採用された。

今は週4日勤務で、社長から託された働き方改革を担当している。

Kさんは「健康と時間、お金を考えると、思いっきり遊べるのは60代だと気付いた」と話し、週4日勤務を選択したことを「ミラクルヒット」と称する。そして最後にこう話した。「この年になって、この先何があるか分からないということを強く意識するようになりました。今を楽しまないと、貯金なんかしている場合じゃないんです」。

定年後について多くの著書がある楠木新氏は、60~74歳までの15年間が、身体的に自立を確保でき、組織の束縛から逃れ、かつ家族の扶養義務からも一段落つくことから、多くの時間を自分のために費やせる「黄金の期間」と称しているが、Kさんの今の生活は、時間もお金も自分のために費やす、文字通りの黄金期のようである。

筆者から見ても羨ましい暮らしぶりだが、残された期間を逆算して決断を積み重ね、住む家まで変えたことで、理想の暮らしを手に入れたとも言える。

前々稿でも紹介した元大手旅行会社勤務のSさん(56歳)も、早期退職後、人生の軸足を、仕事から、趣味のクラリネット演奏活動に移した。

課長時代には1日14時間働き、終電を逃したらタクシーで帰宅するか、会社近くの定宿に泊まるか、というような働き方だった。土日も仕事で埋まり、クラリネットの演奏活動が思うようにできなくても、仕事が楽しかった時は、納得感が得られていた。

しかし50代前半のとき、会社の組織再編の影響で、部長職から課長職に配置転換されると、気持ちに変化が生まれた。

与えられた職務に対して、心のどこかでひっかかり、今後ステップアップしていく見通しも持てなくなり、クラリネット活動ができないことに納得感を保てなくなった。

Sさんがその時、意識したのも、タイムリミットだ。「私、あと何年、健康な体でクラリネットを吹けるだろう」。

Sさんにとって大切な“クラリネット”を軸に据えたところから、判断が次々決まっていった。「もっとクラリネットと両立できる働き方があるんじゃないか」。「新しいことを始めるなら、50代半ばの今しかない」。「50代を無駄に過ごしてはいけない」。

そうしてSさんは旅行会社を早期退職し、ハローワークで簿記などの職業訓練を受けた後、自治体の非正規雇用で働いている。

現在は、土日完全休みとなり、退職前から行っていたクラリネットのアンサンブルやソロ演奏に加え、夢だったオーケストラにも入団するなど活動の幅を広げ、充実した週末を過ごしている。

現在は、男性の2人に1人は83歳、女性の2人に1人は90歳まで生きる時代となったが、好きなことを好きなだけできるのが何歳までかと考えると、もっと短い。

国は、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できている状態」として「健康寿命」を公表しており、直近の2022年では男性が72.57歳、女性が75.45歳である。

これは、厚生労働省が行っている「国民生活基礎調査」の「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか」という設問に対する回答を、算出の際の主な指標としている。

しかし、日常生活に制限を与えるほどではなくても、体力低下や様々な疾患はもっと早く表れる可能性がある。

厚生労働省が医療機関を対象に行っている「令和5年患者調査」によると、何らかの疾患で通院する10万人当たりの患者数は、男女いずれも20代以降、加齢に伴って概ね増加するが、男性は50代頃から、女性は60代頃から増加スピードが増している。

入院の患者数に関しては、男女いずれも、70代から急増している。​

従って、50代、60代で、漫然と与えられた仕事を続けているだけでは、はたと気が付いた時には、好きなことをする体力や体調が維持できなくなっているかもしれない。

「健康には自信がある」と思っている人は、仮に自分が健康寿命ぎりぎりまで体力・体調を維持できたとしても、引退後の生活を一緒に楽しもうと思っていたパートナーに、健康上の変化が訪れる可能性もある。

定年後の人生設計が、大方の人の進学や就職、結婚など、若い時の人生設計と決定的に違う点は、「自由に活動できる残りの期間はどれぐらいか」という“時間”の変数が入ってくることであう。

残された時間の感覚を念頭に置いたうえで、そこから逆算して今、何をすべきかを決めていくのが、定年後に関する選択だと言える。

だからこそ、何のためにどれぐらい働くのか、働くことによって何を実現したいのか、働くことの本当の目的は何かを考えて、仕事と働き方を自ら考えてほしい。

何をすれば「黄金期」になるかは、人によって違う。自分にとって大切なもの、大切な人を見定めて、定年後に、自分にとっての黄金期を迎えてほしい。

(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 准主任研究員・ジェロントロジー推進室兼任 坊 美生子)

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