つまり、「没入=イマーシブ市場の中で体験するもの」という認識が一般的になりうるのだ。

併せて「没入する事」そのものが外部装置や演出によって「誰でも」「同じように」体験できる形にパッケージ化されたことにより、没入は「保証可能な体験」となり、企業は「没入感を提供します」と明確に商品化できるようになった。

消費者は「没入したい」という欲求を満たすためにコンテンツそのものよりも「イマーシブであること」自体に価値を見出し、対価を支払う。

普段は絵画そのものに興味を抱かない人であっても、イマーシブミュージアムに惹かれる理由はまさにそこにあり、自然な内発的感情が人工的に再現可能な「体験商品」として市場に出回る構造こそが、現代のイマーシブ消費を特徴づけているのである。

もし筆者の言うように、昨今のイマーシブという言葉が「媒介手段およびそれによって得られるエンタメの機会」を指しているのだとすれば、芸術や演劇、展示、都市空間、さらにはデジタルサービスに至るまで、あらゆる領域で「イマーシブ」や「没入感」という言葉が用いられているのは当然の帰結である。

街頭広告にさえ「イマーシブ」が活用されるのも、広告そのものは消費者各々で受け止め方は違うが、広告と消費者を「没入感を生み出す仕組み」で媒介することで、消費者に一律に「広告を見たことで没入感を得ることができた」という体験を提供することとなり、消費者にポジティブなイメージを訴求できるからだと理解できる。

すなわち、現代におけるイマーシブとは、単なる感情の形容ではなく、人工的に設計された没入感を保証する仕組み自体を商品価値として提示する言葉へと変容しており、これこそが、イマーシブという概念が大衆的に受容され、同時にマーケティング的に強力な機能を持ち続けている理由であり、その一方で人々に違和感や戸惑いを与える要因でもあるのだ。

(※情報提供、記事執筆:ニッセイ基礎研究所 生活研究部 研究員 廣瀬 涼)

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