富山大空襲の被災地から遠く離れた富山県氷見市の島尾海岸。80年前の空襲後、11人の遺体が海岸に漂着しました。1975年に慰霊の地蔵が建立されて以降、地元の人々によって慰霊祭が営まれています。

12日、氷見市の島尾海岸で営まれた慰霊祭。雨にもかかわらず約100人の地域住民らが参列しました。
参列者が手を合わせるのは1体の地蔵。この海岸に漂着した戦没者を慰霊する地蔵です。

80年前の8月2日に起きた富山大空襲で火の海と化した富山の街。当時は空襲の熱さから逃れようと大勢の人が神通川などに飛び込んだと言われています。


空襲から約1週間後、富山の街から25~30キロほど離れた島尾海岸に11人の遺体が流れ着きました。中には生まれたばかりの子どももいたといいます。
漂着した遺体は無縁仏として海岸近くのマツ林に埋葬され、その霊を慰めようと1975年にこの地蔵が建立されました。それ以来、この海岸で毎年慰霊祭が執り行われています。
慰霊祭の参列者には空襲を体験した90代の女性も――

富山大空襲を体験した90代女性
「昔のことから何から思い出して。いいがに、こうして弔いをずっと続けておられて、ありがたいことですね。安らかにという気持ちですわね」
島尾自治会 中田正幸会長
「雨で少なくなるのかなと思っていたんですけれども、たくさん来ていただいて、嬉しくと言ったら変ですけれども、よかったなと思っております。こういう催し物をしっかりこの後ずっと続けていきたいなと」