終戦から80年、戦争体験者が減少していく中で、記憶をつないでいくことの大切さが一層増しています。富山大空襲で父を失った90歳の女性は、つらい記憶を乗り越えて一人でも多くの人に戦争の残酷さと平和の尊さを伝え続けています。



80年前の8月2日未明、富山市では焼い弾が火の雨のように降り推定3千人の命が奪われました。その犠牲者への鎮魂の思いを込めて毎年8月1日花火大会が行われています。

生花店:
「稲田様からお誕生日のお花お届けにあがりました」

ことし90歳を迎えた富山市の稲垣よし子さん。8月1日が稲垣さんの誕生日です。

稲垣よし子さん:
「誕生日に、お父さんが死んだもんでやだなというようなね、自分自身でも祝う気持ちになかなかなれなかったし人もお祝いも言葉でも言ってもらえなかったから」

稲垣さんは80年前の富山大空襲で父を亡くしました。

稲垣よし子さん:
「『この子たちの代わりにお父さん生きておられたらよかったのにね』と。『だんなさん生きておられりゃよかったんにね』と。それ聞くのがいやでね。私たち生きとったらダメだったんだと」



1945年8月2日未明、174機の米軍爆撃機・B-29が富山市の中心部に50万発以上の焼い弾を投下し、市街地を焼き尽くしました。破壊率は99.5%と空襲を受けた都市の中でも最悪の被害となりました。