◆証言台で彼女は…長い沈黙の理由

2022年5月16日、事件から1年半も経ってやっと始まった裁判員裁判は、ベトナム語通訳を介して実質6日間開かれました。


そのうち2日間に渡って行われた被告人質問でスオンは、簡単な問いにはスラスラと答える一方で、質問を聞き返したり、長い間沈黙したりすることが何度もありました。

類推して答えることもなく、当時わからなかったことには「わからない」と答え、「はっきりとは覚えていないが、だいたいでもいいか?」と確認することも。なるべく正確に・正直に言葉を選んでいるように見えました。


聞き返しや長い沈黙があまりに続くようになると、裁判は短く休廷することがありました。休廷になると、被告人は証言台から被告人席に戻ります。一度、まさに赤ちゃんに何をしたか、という聞き取りの途中に挟まれた休憩で、彼女が席に戻りながら、申し訳なさそうな顔をして「振り返るのは悲しいことで、声に出して答えるのが辛いです」と、通訳の人を介して弁護人に伝えているのが聞こえてきました。

裁判では、多くのことが明らかになりました。彼女の「した」ことと「しなかった」ことがクリアになり、田園地帯で「何があったのか」が見えてくると同時に、彼女の周りに「何がなかったのか」も浮かび上がってきました。

◆病院には行った…のに

2020年3月、スオンは生理がこなくなったことから妊娠を予感し、2か所の産婦人科を訪ねていました。1か所目は、広島市内のクリニック。妊娠初期だった彼女は、保険証を提出し、スマホのアプリを使ったり、日本語のできるベトナム人の知人に電話で通訳してもらったりして「自分が妊娠しているかどうかの検査を受けたい」という希望を伝え、受付を済ませ、医師に診察され、妊娠を確認することができました。


取材に対し、診察した医師は、警察からの捜査を機にスオンのことを思い出したと話し、「診察室で翻訳アプリは使わなかったが、やりとりには不具合を感じなかった」と話してくれました。そして、「赤ちゃんを産むか産まないかは、(中絶が可能な)妊娠22週までによく考えるように」と伝え、そのクリニックにはどちらにしても設備がないため、彼女の住居に近い、東広島市内の病院の名前などをメモに書いて渡したそうです。「彼女は、喜んでいるようにも悲しんでいるようにも見えず、事実を受け止めているように思えた」と印象を語りました。

裁判では、スオンが診察室の中で通信機器を使ってはいけないと思い込んでいたため、受付で利用したアプリを診察室では使うことなく、一人で話を聞いていたことが分かりました。妊娠していることはわかったものの、出産予定日も、詳しい診断内容も理解できていなかったそうです。それでも、別の病院を紹介されたことは理解できていました。

そして、その診察から1、2週間して、彼女は紹介された東広島市内の病院を訪ねた、ということが裁判の中で明らかにされました。1か所目のクリニックでしたのと同じように、保険証を提出し、スマホのアプリと、知人との通話による通訳で、今度は「中絶したい」と希望を伝えたそうです。ところが…。

(弁護人)Q 窓口にいた女性に希望は伝わりましたか?
(被告人)A わかってくれたかどうかはわかりません。
(弁護人)Q 中絶の希望を伝えたら、病院の人はなんと答えたんですか?
(被告人)A 通訳をしてくれる付き添いの人がいないとダメ、と言われた。
(弁護人)Q それであなたはどうしたんですか?
(被告人)A …長い沈黙… ハイと言って…帰りました。
(弁護人)Q 病院に受診を断られた、と理解した?
(被告人)A 相手が断っていたのかどうか、自分が日本語を理解できていないのかという不安もありました。
(弁護人)Q どういう気持ちでしたか?
(被告人)A 悲しかった。

その後スオンは、自分より日本語が達者だったベトナム人の同僚に付き添いを頼みますが、断られてしまいます。そして付き合っていた男性にも…。


それから半年ほど経った2020年秋。臨月が迫っていたスオンは、再び東広島市内の病院を訪ねたそうです。少し前に動かなくなったお腹の赤ちゃんが、元気かどうかを確かめるためでした。