3歳で被爆した女性が村上信五さんに伝えたこと
村上信五さんは、この日、3歳で被爆した女性とも会って、お話を聞きました。お話の一部を放送で紹介しました。
村上信五さん
「あ、おはようございます」
被爆者 松本滋恵さん
「初めまして、おはようございます。松本滋恵です。よろしくお願いします」
村上信五さん
「よろしくお願いします」
田村友里アナウンサー
「こちら松本滋恵さん。こちらのハチドリ舎でも、6のつく日にいつも語り部としてお話しをしてらっしゃいます」
お会いした場所 Social Book Cafe ハチドリ舎では、6のつく日に「語り部さんとお話ししよう!」というイベントを開催して、被爆体験を気軽に聞ける機会を作っています。
松本さんの話は、1945年8月5日のことから始まりました。
被爆者 松本滋恵さん
「母の実家はですね、爆心地から約500メートルのところにありました。母の実家には母の兄夫婦がいて、子どもがいなかったから、ゆくゆくは私はそこの養女になる予定でした。私は、その母の実家にいて、江波の我が家に8月の5日に…」
村上信五さん
「前日に?」
被爆者 松本滋恵さん
「そう、前日に帰ってきた。それも夕方遅かったらしいんですよ。それで私は今こうして生きてお話ができるんです。でも母の実家にいた祖父、伯父夫婦、そして叔父の4人は原爆で亡くなりました」

村上信五さん
「皆さん、だってまだ、お若いですよね?」
被爆者 松本滋恵さん
「あ、そうですよね。伯父夫婦が43と…」
村上信五さん
「うわっ!僕、44なので。勝手ながらですけれどもね、これからの人生、松本さんが移られてってなった時に、色々思い描いてた未来はおありだったでしょうからね」



































