今の村上信五さんと同じ年頃で伯父と伯母は亡くなり…生かされた自分

田村友里アナウンサー
「8月6日は、爆心地から3キロの旧江波町で被爆されたということですけど…」
被爆者 松本滋恵さん
「4人が朝の食事をしてたんですね。ちょうど目の前に赤い火の玉が落ちたのを覚えてます。そしてその途端に、さっきまで寝ていた部屋、そこは爆心地から近いものですから、窓ガラスは粉々に壊れて、天井は落ちて、その部屋に寝ていたら、まあ亡くなっていたか大怪我をしていたかわからないんですがね。そういう形ですから、被爆から生かされているという思いがね、私の心の中にずっとありました」

田村友里アナウンサー
「で、3日後に江波町から本川町に?」
被爆者 松本滋恵さん
「(母は)私と弟を乳母車に乗せて実家に向かいましたけど、まだ3日後ですからね、死体や瓦礫が多くあって、なかなか乳母車を押すことができなかった。で、もう、爆心地から500メートルですからね、もう焼けて何にもなかった、って」

村上信五さん
「ほんとに見る影ないくらいですか?」
被爆者 松本滋恵さん
「ええ、そうですね。(伯父ら)3人の遺骨があったそうですが、(母は自分の)父の遺骨がないから、乳母車を押して爆心地をぐるぐるぐるぐる回ったそうですが、未だにどこで亡くなったのか、遺骨もない状態です。乳母車の中で見た光景はですね、3才でも衝撃だったんだと思うんですね。今までに見たことない景色ですよね、もう焼け野原で。電車の中で吊り革を持ったままの真っ黒な死体とか、髪の毛が逆さまになった死体を見たのを覚えてます」