なんとか生きてくれた長女 しかし放射線の影響が…

手記を書き残した葭本しげ子さん

恒子さんに、大きなけがはありませんでした。しかし放射線の影響か、高熱や嘔吐、下痢に苦しめられていました。何か少しでも食べさせようと、重湯を少しずつスプーンで口に注いでいきましたが、飲み込むことはできませんでした。血を吐くことも。恒子さんは、うわごとを言うようになり、「家に帰りたい」と繰り返していたといいます。

しげ子さんは、借りてきた大八車に恒子さんを乗せ、自宅へ連れて帰ることにしました。「苦しい、苦しい」という娘を、「もう少しだから我慢してね」となだめながら家路を急ぎました。しげ子さんは数日間、ほとんど寝ていなかったため、倒れそうになりながら、疲れた足を引きずり自宅を目指しました。

しげ子さんの手記より
「ようやく空家同然の目茶苦茶に壊れた我が家にたどりついた。ご近所の方達に手伝ってもらって落ち込んだ座敷の片隅に寝かせた。とても苦しそうで見ていられなかった。

大八車を返さなくてはならないので『お母さん、お母さん』という娘を一人残して、隣組の方に頼みに行って帰るとすぐ『お母さん』と云ったきり息を引き取ってしまった。

私は余りのショックでしばらくは涙も出なかった。あゝ2人の子供は遂に死んでしまった」