上野栄子さん
「あそこに行くところを写されたんですよ。通うところを写すと言ってね。歩いてくださいと言われて。リバノールかなんかやって治療してもらって。(体に入った)ガラスは出してない。40年ぶりに出したんです。耳が出血がひどくて、頭もいっぱいガラスが入っているんです。顔から全部。もともとおさげ髪にしていたんです、三つ編みに…。でも血がカチカチになって治療するのに邪魔だからと坊主(丸刈り)にされたんです、みな」

上野栄子さん
「腕や顔に残っている傷は、全部ガラスの傷です。このように耳が切れているんです。出血がひどかったんです。窓はガラスもないですからね。当時は、むしろを全部下げて。雨風をよけるのに」

大田萩枝医師
「8月の終わりごろから斑点の出る人、髪の抜ける人が出だしたですね」


上野栄子さん
「血を吐いてね、亡くなっていきましたよ。もう、私の番、今度は私の番。亡くなっていったら、次は、今度は私の番と、そればっかり思っていました。あの時は。それが、先生、50年、生きさせてもらって…」


治療活動が行われた校舎は、戦後も補修を重ねて使われました。しかし、ふたりの再会から5年後の2000年、老朽化のため取り壊されました。

その一部は保存され、袋町小学校内の平和資料館として、現在もあの日のことを今に伝えています。

大田萩枝医師は2018年、96歳で亡くなりなりました。上野栄子さんについては現在確認中です。

厚生労働省によりますと、全国の被爆者の平均年齢はことし3月末時点で84.53歳。また、被爆者の人数は去年より8820人減って11万8935人となりました。

あの日の体験を直接聞くことができる時間は、限られています。

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いま、伝えたい ~広島の放送局に残る映像~

核を巡る緊張が高まっている状況だからこそ、わたしたちRCCは、これまで取材させていただいた被爆者の皆さんの声をお届けしなくてはと考えています。
以下、局に残る貴重な映像をまとめています。

「『助けて』という姉を見殺しに… 誰にも言えなかった」 悔い続けた弟
被爆した医師は8月6日の午後から救護にあたった… ~広島の放送局に残る映像から 原爆投下77年~
「髪は抜け、腕は糸のように…」 9歳と7歳の姉弟もその後 亡くなった 続く放射線の被害
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廃墟の広島で撮影された少年 「あれは77年前のわたし」 初めて男性が戦後を証言することを決めた理由