田芋の発祥は金武や大山ではなく“南上原”⁉

中村さん
「田芋の発祥というと、金武とか大山とか皆さん言いますけど、文献上、ここが田芋の発祥と書かれている」

古くは、糸蒲と呼ばれていた南上原、琉球最古の資料「琉球国由来記」では、糸蒲が田芋の発祥地とされています。

この糸蒲のウトゥーシ、離れている場所に向かって拝む「遥拝所」として、香炉が置かれ、大事に管理されています。

中村さん
「田芋というと、子孫繁栄、めでたい芋ですから、それがここから発祥したってことは、とても誇りに思うし、子々孫々伝えたいことであります」

歴史を知るきっかけになってほしい、そこで、中村さんが思い立ったのは伝統芸能「組踊」です。伝統芸能がなかった南上原地区で、創作組踊「糸蒲の縁」が完成したのです。

今から300年前の糸蒲村(南上原)を舞台に、男女の愛が田芋の発見によって、実を結ぶという物語。南上原の歴史が盛り込まれ、公演も行っています。

結成時は、大人に混ざり、子ども1人だった長崎さくらさん。高校生になった今も組踊を続けています。

5年前には、ユネスコのプロジェクト遺産にも登録され、去年、2作目も披露されました。

長崎さくらさん
「地域の色んな方々とつながりを持てる場所で、地域全体が温かくて良いと思う」

1人だった子どもは、今では25人に。こうした活動は、結びつきが弱くなっていた地域の絆を深めています。

高校生男子
「住んでいる地域の歴史自体、組踊するまで全く分からなかったので、この組踊を通して地域の歴史をすごく学べるような活動だと思う」

「地域を沖縄の人たちに知ってもらうのが一番大事かなと思う」

「これからも続けてもっと上手になれるように頑張っていきたい」

長崎さくらさん
「おばあになっても続けたいと思う」

中村さん
「遠くから転入してこられた方にとっても、モノづくりによって仲間に入ってこられる、そういう自治会を目指せたら、私にとって南上原は、誇れる夢の持てる地域だと思っています」

中城村南上原を訪ねると、地域の持つ魅力を次の世代につないでいこうという熱い思いがありました。