「自由の喜びがある」沖縄の文化、言葉にこだわり続けた

上原直彦さん(2006年放送の番組内)
「陸橋のところに看板があって、そこに米須の美男美女とクエッションマークがついていたんだよ」
ウチナーグチでの番組進行で先輩パーソナリティと渡り合った直彦さんですが、じつはRBCに入社した当時はウチナーグチは使えなかったと、のちに振り返っています。
上原直彦さん(2006年放送の番組内)
「うちなーぐち使えなかった。放送局に入ってウチナーグチを意識した、年齢的にそうでしょ、方言を使っちゃいかん世代、方言札の世界に生きていた」
元は新聞記者だった直彦さん。RBC入社後、お年寄りにインタビューする際に、ウチナーグチしか通じない場面を経験したことから本格的に学び始め、放送でも積極的に使うようになり、沖縄の文化、言葉へのこだわりを強めていきます。
北島角子さん
「古いものはなんでもヤナー(悪い)、新しいものは何でも上等。どこでまちがったかね、古いものがあったから、もっとどうしたらいいかねと思ったり考えたりして、世の中も発達して今になっているよ」
活動の幅は、ウチナーグチを使った芝居や、作詞にも広がりました。

上原直彦さん(1996年 記念コンサートにて)
「言葉ってロマンだなあと思うよ。うちなーんちゅがうちなーぐちを使えるという自由さ、自由の喜びがある」
ウチナー芝居の第一人者で、番組で長年共演してきた八木政男さんは、直彦さんのことをこう評価します。
八木正政男さん(2012年取材)
「ウチナーグチを人の何倍も愛する人。沖縄芸能を人一倍愛する人」
直彦さんが発展を後押しした沖縄文化もあります。「三線」です。
上原直彦さん
「三線のいいところは、かじゃでぃ風がなるとどんな人でも、あぐらかいていてもひざまづきするんです」