教員個人に責任を認める判決を勝ち取った“もう一人の遺族”
神戸を拠点に開催される「全国学校事故・事件を語る会」への参加を母・みかさん(仮名)に勧めたのは、大分県に住む工藤奈美(くどう・なみ)さんでした。
工藤奈美さん
「まず沖縄で会ったときに、とにかくこの会を紹介したかった。顧問の指導の上での叱責だったり、うちの息子の事案によく似ているなと思っていたので、早い段階でつながりたいと思っていました」

2009年8月、工藤さんの息子・工藤剣太さん(当時17歳)は通っていた大分県立竹田高校の剣道部での稽古の最中、熱中症で倒れ、帰らぬ人となりました。
両親は、保護者説明会で、学校側にこう訴えました。
母・工藤奈美さん(竹田高校の保護者説明会・2009年当時)
「元顧問からビンタを10発ほどされたそうです」
父・工藤英士さん
「何のための部活なんですか、人を殺すための部活なんですか」

当初、元顧問による体罰を否定した学校側。両親は熱中症になるまで追い込まれ、暴力まで受けていた息子の様子を、当時目の当たりにした部員らに聞き取り、元顧問や副顧問、市や県を相手に闘いを続けました。
そして2016年の大分地裁、2017年の福岡高裁は、元顧問“個人”に重過失があったと認定。これまで不可能とさえ言われていた、教員の個人責任を認める異例の判決を勝ち取りました。(※国家賠償法の規定では、通常、公務員が職務上の行為で損害を与えた場合、その賠償責任は、個人ではなく国や自治体が負うものとされる)
工藤奈美さん
「傷だらけになった夫婦なんですけど、傷だらけになった自分たちだから、私たちはどれだけ矢を受けてもいいから、これ以上後ろにこの矢を通さないようにって気持ちで夫婦でやってきましたね」
『全国学校事故・事件を語る会』に参加した母・みかさんは、沖縄の事例を伝え、今後始まる裁判や、同じ悲劇を繰り返さないためには、どんな活動が必要なのかを話し合い、アドバイスを受けました。
工藤さんは、母・みかさんの今後の活動についてこう語りました。
工藤奈美さん
「やっぱり泣くことも多いし。今回、皆さんに知ってもらうために、時系列と息子さんに何が起きたのか、資料にまとめてとみかさんに言ったんです。すぐやってくれたんですけど、この作業をするのは本当に苦しくて。息子さんについて何が起きたのか、どういうつらいことがあったのかは、通常蓋をしていないと生活ができないんですよ」
「資料にまとめるのは、その蓋を開いて、頭を突っ込んで中をじっくり見ないとできない作業なんです。それをきちんとみかさんは、やってきました。それは見ていてすごいと思いました」

母・みかさん(仮名)
「文字に起こすとか言葉にするとかっていうのはつらいですよね。何年経ってもこれはぬぐえないのかなって思いながら。でも工藤さんと会っていろんなことを得て今ここにいる。息子のために今が頑張り時かなって」
二人へのインタビュー中、工藤さんはみかさんへ、ある言葉を語りかけました。








