きのう5月15日は、沖縄が本土に復帰して50年となる節目の日です。政府と県が合同で開いた記念式典の会場とその周辺で何が起きていたのか。50年前と変わらない景色を当時の証言と合わせて振り返ります。





西銘恒三郎 沖縄担当大臣
「沖縄復帰50周年記念式典を挙行いたします」




15日、政府と県の共催で開かれた「沖縄復帰50周年記念式典」。天皇皇后両陛下がオンラインで出席され、岸田総理と玉城知事が同じ沖縄会場で式辞を述べました。琉球舞踊や空手の形も披露され、華やかな雰囲気に包まれた式典会場。


しかし、会場のすぐ外では…


宜野湾市の女性(60代)
「私いまテレビを見ていて、岸田さんの挨拶があってそれも消して、行動しなきゃということで来たんですよ」

会場近くに集まった男性
「50年経っても何も変わらん。みんなペテン。復帰そのものが茶番劇だった」

那覇市の女性(60代)
「自分の孫とか子供とかを守ることも出来ないような危うい状況にどんどん沖縄がきている」

Q沖縄の現状を県外から見てどう思われますか?
東京都(70代)
「変わっていないと思っています。もっとひどくなっている」

抗議に来た女性
「人間が人間を殺す。殺し合いの戦争。これはどうしてもこの世界からなくしてほしいと思います」

チョウ類研究科の宮城秋乃さんも、群衆の中で声をあげます


チョウ類研究家 宮城秋乃さん
「実弾です、未使用品の実弾です。米軍が使っていた実弾です。こっちが放射性物質コバルト60が含まれる電子部品です。日本政府は米軍による汚染を隠蔽しようとしたんです」


会場の隣であげられる抗議の声。この光景は50年前の沖縄にもありました。


元琉球政府職員 平良亀之助さん
「ものすごい土砂降りの中でね、拡声器から声が聞こえてくる。カッパを着て、傘をさして、身動きひとつしないみんな」

当時の様子を話すのは、琉球政府の元職員で50年前那覇市民会館で行われた式典に参加した平良亀之助さんです。




元琉球政府職員 平良亀之助さん
「那覇市民会館一階大ホール、手を伸ばせば届く与儀公園では県民総決起大会。俺も本来ならあそこ(与儀公園)におるべきなんだがと自分に言い聞かせながら、しかし式典のスタッフでもあるから、眼のふちが熱くなってきて涙を流したような記憶がある」

そんな沖縄とは対照的に、同日に東京で開かれた式典は高揚感に包まれていたといいます。





50年前に東京会場で決意表明した具志孝助さん
「これが当時5月15日の式典会場の全景です。そこに天皇皇后両陛下がいて、私がここで決意表明をやって」

具志孝助さんは、27歳の時沖縄の青年代表として東京の復帰式典で決意表明をしました。



具志孝助さん(当時27歳)
「私たちは4分の1世紀に超えるこの苦難の中での生活体験を土台にし、今こそ新しい沖縄の夜明けに向かって決意を新たにするものであります」

具志孝助さん(現在)
「目の前に天皇皇后両陛下が座っていて、大物政治家がわぁっと夫婦で出席して、高揚感がありましたね」

復帰当時にあった本土と沖縄の温度差は15日の式典からも感じられました。