国内で15回、頂点に立った選手。当然のように『世界』を目指しましたが、スポーツの世界は勝者だけではありません。
輝かしい成功、誰にも言えぬ挫折感、そして決意の転身で慶応大学院へ。振り返って見えたもの、得たもの。その後を追いましたー
与那覇竜太(よなは りゅうた)さん
「どこかで『できない』と思っている自分がいるんですよね。『いや無理だよ』っていう自分がいるんで、挫折っていうのは、こいつとの折り合いがついていないことだと僕は思っていて―」
与那覇竜太さんは高校時代レスリングのマットの上で輝きを放っていました。中学で日本一に輝き、華々しく高校デビュー。2010年、地元・沖縄で迎えた全国総体ではなんと1年生にして3位という大健闘を見せましたが、試合のインタビューでは「自分は小学生のときから今日のために頑張ってきたのが、もう終わってしまった」と、決勝進出を逃し悔し涙をながしていました。
それ以降、挑む大会は全て負けなし。インターハイや国体など数々の大会で日本一を勝ち取りました。

ぎふ清流国体(2012年)で優勝後のインタビューで 与那覇竜太さん
「夏休みにロンドンオリンピックを見て感動したので、オリンピックを目指してやりたいと思います」
しかし、大学に入ると、次第にその名前を聞くことは少なくなりました。

与那覇竜太さん
「(要因は)けがとメンタルと、あとテクニック的なものもあります。苦しかったですよ、苦しかったし。よぎりますよね、事故とか病気とか、『仕方なかった』って周りに言わせるぐらいの事件が降りかからねえかな、って思ったこともありました」
先日、与那覇さんは久しぶりに恩師を訪ねました。

恩師の屋比久 保 (やびく たもつ)監督
「中1で握力70Kgぐらいあったでしょう。年ぐらいで73Kgぐらいあったでしょう。怖いよな」
与那覇さん「ありがとうございます、鍛えていただいて」
北部農林レスリング部の饒波悠稀(のは ゆうき)選手は小学1年の時に見た与那覇さんたちの練習を覚えています。
饒波悠稀 選手
「すごく輝いていました、自分は片隅の方にいたんですけど、屋比久先生のゲキとともに、すごく激しいレスリングを、覚えていますよ。怖いと思っていました」
猛練習に耐え抜いた日々。恵まれた体格とパワーもあり小学校から大学2年までに奪った日本一は14回。でも恩師からは「いつか勝てなくなる」と発破をかけられていました。
屋比久 保監督
「パワーで勝って、技術で勝って、パワーがあるからスピードも出るし。大学に行って社会人になったときに、それ(パワー)が近づいてきたときに自分が今まで軽く取っていたものが、苦労するぞっていうことはいつも言っていました」
大学3年のケガをきっかけに、15回目の日本一にはなかなかに手が届かない日々。
与那覇竜太さん
「勝てなくなっちゃったのかな俺、ついにその時期が来たのかなっていう」
大学4年の2016年に引退を決意しました。でも引退して気づいたことありました。
与那覇竜太さん
「ずっと『うわ、俺勝てなくなっちゃったのかな』って、疑心暗鬼のまま引退して、振り返ってみると屋比久先生は俺が勝っているときは『勝てなくなるぞ』ってハッパをかけてくれていましたけど、勝てないときにそばにいてくれたら、『勝てなくなるぞ』じゃなくて『自分で試行錯誤して頑張れよ』ってエールを送ってくれるだろう、と。引退して(競技から)離れて、整理ができた部分があってー」
そこから与那覇さんは15回目の「日本一」に挑みます。さらに大学院へ進学し全く別の新たな道へ踏み出し、今ー