復帰を機に右肩上がりに伸びてきた沖縄の観光。しかしここ2年ほどは新型コロナの影響を大きく受けています。これまでの沖縄の観光とこれから目指す観光のカタチとは。




復帰直後に訪れた観光客
「5月15日復帰になりましたね、ですから簡単にこれるようになったので夏休みを利用して沖縄に来ようと思って来ました。」



1972年。日本へ復帰した沖縄は復帰と同時にそれまで必要だったパスポートがいらなくなりました。



すると…沖縄への観光客は急激に増加します。復帰した72年度は前年度の2.5倍以上のおよそ56万人が沖縄を訪れました。観光客の増加を後押ししたのは政府の「沖縄振興開発計画」第一次振興計画では「余暇生活の充実と観光の開発」を掲げ、観光を沖縄の主要産業と位置づけました。
■海洋博の1シーン
■沖縄自動車道の工事の様子

こうした流れの中、1975年に世界初の「海洋」がテーマになった特別博・沖縄国際海洋博覧会が本土復帰記念事業として行われました。「海洋博」の開催はホテルなどの宿泊施設の整備、沖縄自動車道の建設などインフラ構築にも貢献し観光産業の基盤が整えられていきます。


海洋博など復帰後の沖縄観光の歴史を見てきた、かりゆしグループ会長の平良朝敬さん。
平良さんは復帰前から続く家業のホテル経営に復帰を機に携わりました。



「本土復帰記念として沖縄海洋博覧会が沖縄で持ってこられたってことは、やっぱり沖縄を全国に知らしめる大きなポイントであったということは事実なんですね」




海洋博が開かれた1975年度に沖縄を訪れた観光客はおよそ158万人。前年度のおよそ2倍と大いに賑わいました。しかし翌年度は観光客数が半分になりホテルや店舗で倒産が相次ぐ、いわゆる海洋博ショックがありました。

「ですからそれに伴って各ホテルが非常に苦しくなって倒産というホテルを閉めるということに至った」

平良さんのホテルも苦境に立たされますが、赤字を出すことなく乗り切ったといいます。


「海洋博終わって(部屋を)半分の75ルームぐらいにしたんですね。お客さんも来ないわけなので、やはりお客さんというのは本土のお客様、その本土のお客さんのニーズに合わせなきゃいけないということで、畳の和室の宴会場。それから男女の大浴場などを客室を壊して部屋にパブリックスペースを作った」



その翌年からは沖縄観光は再び右肩上がりとなっていきます。それまでの沖縄観光といえばひめゆりの塔などの戦跡をめぐる、いわゆる慰霊観光とショッピングが中心だったものを美しい海と空のもとで観光スポットを巡る周遊型も見られるようになりました。


また1980年代になると航空会社による沖縄キャンペーンが始まり沖縄の魅力をアピール。
リゾート地・沖縄のイメージが浸透し誘客に成功しました。


Q:どうして沖縄へ?
「やっぱり海がきれいですね、泳ぐってなったら夏は沖縄。
Q:また来たい?
「また来たいです。今度は長い期間で。」
「海もきれいだし、砂もきれいだし、東京と全然違うでしょ。」



その後、アメリカ・同時多発テロや東日本大震災などの影響 で観光客が減った年もありましたが、ここ50年沖縄観光は右肩上がりの成長を辿ります。沖縄観光の成長の要因を県庁職員を経て琉球大学の教授として見続け、現在は沖縄観光コンベンションビューローの会長を務める下地さんは…


沖縄観光コンベンションビューロー 下地会長
「一言で言うと官民挙げて沖縄の観光を振興させてきたということになると思うんですけども、空港港湾道路を下水道、公園も含め、こういったそのインフラ整備がこの50年でしっかり進んできたと。一方で民間レベルでは観光施設だとか宿泊施設とか交通ですよね。そういった様々な要素が組み合わさって沖縄の観光が伸びてきたと、その中心にあるのはやはり沖縄の独特の自然と歴史文化っていうふうになると思います」