123年前の噴火で居住不可能に 沖縄へ移住

過酷な自然環境の中に移住した人々が島に留まり続けたのは、この交易と王府の庇護があったからだった。硫黄鳥島は、琉球王国の経済を支える “資源の島” として、存在意義を発揮していた。

硫黄鳥島(海上保安庁HPより 第11管区海上保安本部撮影)

だが1903(明治36)年4月、硫黄の採掘坑が爆発。噴火は4か月続いた。翌1904年には、全住民を久米島へ移住させる方針が政府によって決定された。住民たちは家財道具だけでなく、先祖の遺骨まですべてを持って、わずかな採掘要員だけを残し久米島へと移住した。

島に7か所あった御嶽は合祀され、久米島で「七嶽神社」と名付けられ、遺骨は鳥島霊堂へ納められた。(※久米島町資料) 故郷ごと200キロ移動した、壮絶な移住だ。