2か月越しに叶った答え合わせ

アナウンサーなのに、話せない。
絶望的だったはずの状況を「楽しんだ」という言葉の裏で、狩俣さんは、復帰する未来を信じ、努力を続けた。
松田さんは、狩俣さんとのリハビリのなかで特に印象に残っているエピソードがあるという。急性期のリハビリに取り組んでいたある日、狩俣さんは松田さんに、どこの海が好きか、という話をしようとしていた。
しかしどうしても、地名が出てこない。
松田さんも推測することができず、最後まで分からないまま、その日のリハビリは終わり、狩俣さんはそのまま回復期病院へと転院していた。
それから2か月ほど経って、回復期病院も退院した狩俣さんが、那覇市立病院の言語聴覚室に挨拶に訪れた。松田さんと再会し、また偶然、海の話になった。その時――

松田真梨子さん:
「このときに、当時は言えなかった言葉が出せたんです。『奥間』という言葉でした。国頭村の奥間ビーチの『奥間』、それだけの単語だったんですけど、数か月越しに答え合わせが叶った。あのときに伝えようとしてくれてたのが、その言葉だったと分かって、とても嬉しかった」
小さな前進だが、狩俣さんの回復が着実に進んでいることを示していた。
同時に、松田さんから支援を引き継いだ回復期病院でもリハビリに尽力してくれたことが分かる証でもあった。言語聴覚士の松田さんにとって、大きな喜びだった。
狩俣さんは自宅での生活を取り戻し、再び、那覇市立病院の外来リハビリに定期的に通うようになった。
その頃、狩俣さんの失語症は「重度失語症からずいぶんと改善はされたが、軽度というには重すぎたような状況」(松田さん)だった。











