特に祖母や母親への暴力は激しかった。頻繁に家族を叩き、時には “敵” と呼ぶこともあった。
「電線を巻いて束ねて、柄をつけて、殴る鞭をつくって。主に祖母を殴るんですよ」「憎かったですよ。兵隊に行って帰ってこない家庭がうらやましかった」
そんな精光さんは、精神疾患を患い、錯乱状態になることも多かった。65歳のとき、自ら命を絶った。
「極限状態を味わったんだろう」
長年、暴力をふるう父親を憎んできた金城さんだったが今年、戦争によるPTSD(心的外傷後ストレス障害)を考える講演会に足を運んだことで、父親を変えたのは戦争だったのではないかと考えるようになった。
「親父もそれなりに悩んでいたのかなと思った。首を吊るくらいだったら、やっぱり相当苦しかったと思いますよ、本人も」











