1944年10月10日、沖縄各地に甚大な被害を出した10・10空襲。午前6時40分から午後3時45分まで9時間にわたる空襲が行われ、那覇のまちのおよそ9割が焼失。5万人が焼け出されました。

今回の湧田村の発掘調査では、出土の状況から、空襲時の住民の様子が伺えるものが見つかっています。

割れた陶磁器。「色絵の器」とよばれる高級品です。

▽県立埋蔵文化財センター・大堀皓平主任専門員
「通常だったら埋めたりされて大切にされてるようなお皿類というのも一緒に割れて出てきています。そこから考えますと、本当にいきなりある日突然、空襲が発生して、そういう大切なものとかを持って出ることも叶わず、すぐに逃げていった様子と、それを回収することもできなくなってしまった様子というのが発掘調査からも伺えますので」

調査に携わった専門員の大堀さんは、発掘時の様子をこう振り返ります。

▽県立埋蔵文化財センター・大堀皓平主任専門員
「赤い焼けた土とか、炭の地層などもかなり出てきましたので、その当時の戦争の焼けた直後の様子が(沖縄戦)当時の写真と私の目の前に出てきた光景というのがほとんど一緒だったので」

「通常の発掘だと新しい発見があって、わくわくしながら調査をするんですけれど、ここの遺跡に関しては、何とも言えないというか」

10・10空襲によって焼失した「湧田村」。発掘であらわになった81年前の記憶を、記録として残す作業が続けられています。