
「戦後間もない頃に収容所の中で作られたと伝わっている史料です。当時は沖縄戦を経て、沖縄の人々は、みんな着の身着のままで収容所に収容されて、本当に日々の食べ物にもこと欠くような生活をしていた。もちろん着るものも、そのとき着ていたものを着たきりだったり」
「せめてこういうハレの場だけには、真っ白なウエディングドレスが着たい。そんな乙女心がこれに結実してると思う。当時の人たちがどんな思いで、このドレスを仕立て上がったときに見ただろうかと想像するだけで、本当に胸が締め付けられる」



花嫁衣裳への特別な思い…それは戦時下も同じでした。山城さんの推しは、『二高女』に通っていた赤嶺キクさんが身につけていた「もんぺ」。