沖縄戦から80年が経ちました。沖縄の80歳以上は、人口の7%です。日本全体でも90%が戦後生まれになり、近い将来、戦後世代しかいない沖縄がやってきます。【戦後80年 #あなたの623】は、胸の奥にしまい込んできた辛い記憶。家族のなかで避けてきた戦争の話題。今しか話せない大切なこと。今だから話せる戦争のことを聞いていく、シリーズ企画です。この記事では、渡嘉敷島で起きた集団自決の生存者、新垣キヨさんの証言をお伝えします。初めてTVカメラの前で証言した、新垣さんの思いとはー

▼新垣キヨさん(96)
「なんて… 今言おうとしていたのに忘れた」

懸命に記憶をたどり証言するのは、新垣キヨさん。80年前、当時16歳だった新垣さんは渡嘉敷島で起こった集団自決の生存者です。

「北山(読み:にしやま)の方に、皆1か所に集まっていたんですよ」

1945年3月27日、米軍が渡嘉敷島に上陸。翌日、日本軍からの命令で住民は北山に集められ、そこで集団自決が起こりました。住民は家族などで輪になって座り、日本軍から配られた手榴弾を次々に爆発させ、約330人が命を落としました。


「おじさんが持ってる手りゅう弾が破裂したんですよ。 そして4家族、全滅したんですよ。手りゅう弾が破裂したところの家族は親戚みんなが亡くなって、破裂しないところは生き延びた」