
平敷七海さん
「こちらからですね。こちらがギャラリーとなります」
美容室のすぐ隣には写真を展示するギャラリーが。常設展示のほかに色々なコンセプトの展示会を開催しています。

平敷七海さん
「このスペースは平敷兼七のポートレートの写真を展示しています。私の父親ですね」

平敷七海さん
「これは『優しい女性』っていうタイトルですけど、この方も夜の女性なんですけど、お友達の子どもを抱っこしている姿ですけど、とても優しい女性だったと聞いていますね」

七海さんの父・平敷兼七さんは1948年生まれの写真家。夜の街で働く女性たちの写真を数多く撮影し、代表作「山羊の肺」は沖縄の若手写真家に大きな影響を与えました。

七海さんが父の兼七さんが残した写真を見せてくれました。
七海さんの祖父母は、現在ギャラリーがある場所で「平敷テント」を営み、個人向けのテントを販売していましたが、ある時、転機が訪れます。

平敷七海さん
「この中に防弾チョッキ入っているんじゃないですかね」
キャンプキンザーのすぐそばにあった平敷テント。1960年代、米軍から防弾チョッキなど大量の発注を受けて繁盛します。
しかし、若い頃から写真の魅力にのめり込んでいた父の兼七さんは、平敷テントをスタジオに改装し、生活は徐々に苦しくなっていきます。
平敷七海さん
「給食費も払えなかったんですよね。払えないのはどうしたかっていうと、学校に行って相談しにいく訳です。待っててくれと」

もともと寡黙だった兼七さんの性格に加えて、金銭的に苦しかった幼少期の生活。娘の七海さんは父にいいイメージは抱いていませんでした。
平敷七海さん
「写真で食べていくってほんとにわずかなので、両立するのも本人は仕事しながら作家というのは、できないことだと思いますね」