ちょっとひととき…懐かしい “昭和の長崎”を感じてみてください。NBCライブラリーに残る 昭和40年代の貴重な映像の一コマです。

『みなと町・長崎』
この町には450年以上前から海外からの貿易船が来航し、近年では大型クルーズ船の入港で賑わいを見せています。

かつて、ここに住む市民の移動手段として重要な役割を果たしていた船がありました。

それが『市営交通船』です。
この船に乗って通勤や通学を経験した長崎人も多いのではないでしょうか。

鶴の港と呼ばれた長崎港は、鶴の長い首のように海が市街地の奥に入り込んでおり、陸路で対岸に行くには大きく迂回しなければならず、とても不便でした。
陸上の公共交通機関が整備されていなかった時代には、長崎港を渡る『港内交通船』が重要な交通手段だったのです。

昭和44年(1969年)6月30日、ついに長崎港内を運航してきた長崎市営交通船が廃止されました。

最後の日、大波止桟橋ではささやかなセレモニーが行なわれました。

市民への感謝を込めたメッセージを書いたサインボードが取り付けられ、満艦飾で飾られた市営交通船が到着。

大勢の子供たちが最後の乗船を楽しみました。

そして最後の市営交通船が港を出ていくと、集まった人たちが、大きく手を振って別れを惜しみました。

この船は大正13年に民間から引き継いでスタート。
長崎市中心部と、当時まだ道路交通が不便だった対岸を結ぶ重要な交通手段として、45年簡にわたって大活躍しました。

きっ水の浅い独特のスタイルが特徴だった交通船。
その船が行き交う様は港町長崎ならではの昭和の風景でした。

同時に、『陸上交通の整備』に伴い港周辺の『海上交通』が船からバスへと切り替わっていったことを物語っています。

港には、役割を終えた市営交通船たちが、ひっそりと佇んでいました。

放送局が撮影した 長崎の映像を配信している“ユウガク”より