ちょっとひととき…懐かしい “昭和の長崎”を感じてみてください。NBCライブラリーに残る 昭和30年代の貴重な映像の一コマです。

昭和40年代の長崎市内をとらえた、当時のニュース映像からのスケッチです。

平地が少なく斜面地の多い長崎では、昭和40年代ごろから住宅地が郊外へと広がっていきました。また、自動車の普及とともに、もともと道幅の狭かった道路に車やトラックの通行量が急激に増え、交通事故も増加していました。

こちらは昭和44年(1969)9月、長崎市中心部と南部をつなぐ当時唯一の道路、国道445号(当時野母県道)の戸町トンネル付近をとらえたものです。

昭和8年に開通した、全長327mの戸町トンネル。

長崎市南部で進められた工業用地の造成や新興住宅地の開発で、戸町トンネル付近の国道の交通量は激増し、このころ1時間に2000台に達しました。

この周辺は、長崎市の中でも交通事故が多発した場所の1つでした。

トラックや乗用車が頻繁に通るこの狭い道路を使って通学している子供たちの様子などが映っています。

現在と違って歩行者の数も多く、町には活気があふれているのがわかります。

トンネル内の狭い路側帯を歩いて通行する住民が多いのにも驚きます。
歩行者のすぐそばを車がスピードを出して追い抜いていきます。

子供が横断歩道を渡っていても動き出そうとする車やトラック。
横断歩道前で徐行しない乗用車…。

この映像は、車社会の急激な発達に人々の意識やマナーが追いついておらず、大きな社会問題になっていったことを物語っています。

この後、長崎市南部には三菱重工長崎造船所香焼工場や関連工場の進出に伴って、昭和48年(1973年)の戸町バイパスが建設され、交通量はだいぶ緩和されました。

放送局が撮影した 長崎の映像を配信している“ユウガク”より