日本初の国営測候所から『長崎海洋気象台』へ

長崎での気象観測の始まりは明治時代の1878年。
日本初の国営の測候所が設置されました。

戦後、1947年に海洋気象観測船が配備されて『長崎海洋気象台』となり、東シナ海周辺で海の観測にあたることになりました。
1953年 海洋学者 石黒鎮雄さんが作曲
長崎で20年以上勤務した田代知二さんは長崎に配属当時、先輩たちからこの歌を教わりました。
気象台職員 田代知二さん:
「みなさんが歌っていて、歌うものだと思って ずっと歌っていました。
その当時、気象台に入ってこのような歌があるとはちょっと驚きでもありました」

この歌は今から70年前の1953年に、長崎海洋気象台の創立75周年を記念して作られました。

気象台職員 田代 知二さん:
「当時の長崎海洋気象台の職員の方が作られた歌です。
作曲した石黒さんはノーベル文学賞を受賞されたカズオ・イシグロさんのお父様にあたる方が作曲された歌です」

カズオ・イシグロさんの父・石黒 鎮雄(いしぐろ・しずお)さんは戦後、長崎に赴任しました。
鎮雄さんのおい 藤原 新一さんは、鎮雄さんは音楽の才能にもあふれていたといいます。
石黒 鎮雄さんのおい 藤原 新一さん:
「チェロとか弾いているのを現実に僕見ていますし、ピアノなんかも弾かれていましたしね。
だからけっこう、ほとんど毎日、音楽関係に触っていたんじゃないですか。
作曲くらいはされてもおかしくない感じですね。」