終戦から今年で80年、子どもたちが平和の尊さについて考えました。
太平洋戦争末期、アメリカ軍による空襲で犠牲となった子どもたちを供養する集いが宮崎市の小学校でありました。

宮崎市の宮崎大学附属小学校の正門近くに建っている慰霊碑。
刻まれているのは、戦争で命を落とした16人の子どもたちの名前です。

1945年5月11日、当時の国立学校師範学校に通っていた男子児童12人と女子部の児童4人が集団下校中、アメリカ軍の空襲に遭い犠牲となりました。

学校では毎年、犠牲となった児童を供養する「いとし子(ご) 命の集い」を実施。

今年は全校児童およそ600人と遺族ら6人が参加し、9歳と7歳の姉2人を亡くした山本行一さんが、児童たちに戦争の悲惨さを訴えました。

(姉2人を空襲で亡くした 山本行一さん)
「この5月11日の悲劇を繰り返さないためにいつまでも語り継いでいきたいと思っている」

そして、児童たちは校内にある供養碑に花を手向け、平和の大切さや命の尊さに向き合いました。

(宮崎大学附属小学校6年 坂本美月さん)
「戦争をする意味とかどうやって平和を保つのとか、そういうことを考えながらこの式に取り組んでいる」

(宮崎大学附属小学校6年 串間杏理さん)
「日本は平和だからいいとかじゃなくて、世界で今戦争をして(被害を受けている)人たちの何か一つでも支える取り組みを考えたい」

(宮崎大学附属小学校6年 本田崚さん)
「(戦後から)80年も経っているからこそ、記憶が薄れている今なので、今は学校からちょっとずつ広げられたらなと思う」

多くの子どもたちが犠牲となった戦争が終結して80年。
平和な日本に生きる子どもたちには夢を持って生きてほしいと山本さんは語りました。

(姉2人を空襲で亡くした 山本行一さん)
「いとし子の授業が第一歩になるんだと思うんですけど、全力で応援したいですね。(子どもたちには)夢に向かって突き進んでほしいと思います」

【参考】
宮崎大学附属小学校では、「いとし子 命の集い」の日だけではなく、児童たちが、毎日、登下校時に供養碑に手を合わせている。