能登半島地震と奥能登豪雨の二重被災がもたらしたもの

能登半島地震により甚大な被害を受け、復旧が進み始めて人々の心が前を向こうとしていた矢先、奥能登豪雨が能登に再び甚大な被害をもたらしました。

9月21日で奥能登豪雨から1年が過ぎましたが、崩壊した河川の堤防の復旧工事、土石流で崩れた山の斜面の復旧工事が、日々進められています。

町野町では家屋の解体もかなり進み、更地となった土地が目立ちます。

被災された方々より、この連載記事で紹介してほしいと、当時の思いと今の気持ちを寄せていただきました。

被災者の方「いつもと変わりない仕事中、ふっと見上げた天井をみて涙が出ました。自分でも(どうして涙が出たのか)よく分かりません……『体育館の天井と同じや』、と感じました」

被災者の方「発災後はずっと余震が続いていて、強い不安を感じていました。家も倒壊して、体育館に避難していたものの、『今度強い余震が来て、天井落ちてきたら終わりやな』という不安が、ずっとありました。常備薬も切れて体調も悪く、いつまでこの状態が続くのか、体が保つかどうか……もし本格的に体調を崩したらみんなに迷惑かかるので、辛かったです。辛い思いをしているのに、涙が出ませんでした」

被災者の方「帰省中に被災しました。今でも、当時のことを、ほぼ毎日思い出します。思い出したくないので、ふと頭をよぎったら違うことを考えたり、音楽を聴いたりして気を紛らわせています。あれから地元に何度か帰っていますが、変わってしまった光景を見ても目を通り抜ける感じがして涙が出ません。こういう話は、あまり人に話したくないと思っています。あのときのことを思い出して、話すと余計辛いと感じてしまいます。ここを乗り越えれば楽になるのでしょうか」

被災者の方「地元を離れているので、町野で頑張っている人に申し訳ない気持ちがあります。今後、自分はどうするのがいいのか、常に悩んでいます。支援活動の皆さんには、本当に助けられています。みんなの畑の会さんや、芸術村のオープンサロンさん、金沢大学のボランティアサークルさんなど、奥能登豪雨の際には、たくさんのボランティアのみなさまに助けていただきました。ずっと感謝しています」

被災者の方「昔のことを思い出すことが増えたような気がします。朝、目が覚めて外に出たら、ご近所さんがいて挨拶をしたり、旬菜のお惣菜を買ってきたり、駒寄でお肉や唐揚げ買ったり、もとやスーパーに行けば 何人かの人に出会って、何でもない世間話したり……という、普通の生活をしているマボロシを見るような感覚です。上手く言えませんが、とにかく震災前の当たり前にあった日常が、突然無くなってしまったという現実を、ようやく受け入れることができるようになってきたのかもしれません。でも、やっぱりどうにもこうにも 涙は出ず、泣けないので、自分の中ではまだ現実を受け入れられていないのかもしれない、とも思います」

お話しを寄せてくださった方々は、「未だに心の傷が深く残ってると感じます」と仰います。甚大な被害をもたらした能登半島地震と奥能登豪雨、復旧復興が進められていく中で、人々の心の復興が今後の大きな課題であると改めて感じました。