きっかけは「母のお手伝い」
初めてミシンを触ったのは、小学校に入学する前。
雑巾縫いをする母親を手伝おうと、ミシンでひと針ずつ縫ったのがきっかけでした。
佐々木奏さん
「誰かが喜んでくれるというのがすごい嬉しいので、それを見ているだけでもやりがいみたいな感じ」
両親と弟の4人家族の奏さん。時には家族にも手伝ってもらいながら、これまでに1000もの作品を手掛けてきました。その腕前は、ミシンの全国大会で優秀賞をとるほどの高いレベルです。

母親
「こういうのがあったらいいなというのを、割と叶えてくれるんですよ。それがすごく助かっているなと思って。このエプロンも、なかなかないじゃないですか。古生物柄のエプロン。」

作品には、使う側が好みそうな柄や、「あったらいいな」を叶える要素があるのが特徴です。例えば、魚が大好きな弟のために作った甚平には、魚へんの漢字が書かれた布を使っていました。

ミシンに打ち込むようになった理由
奏さんの作業場は自宅のリビング。
もともとは宿題をするスペースでしたが、彼女のミシン熱に押されて作業場に変わったとのこと。
ミシンを使い始めて6年。ここまでミシンに打ち込むようになったのにはある訳がありました。
母親
「字を書くことがうまくできなかったり、字を書くことに凄くエネルギーを使って、ストレスをものすごく感じてしまうという特性がありますね。学校に行ってたときに…「私は何もできないポンコツだ」といったことがあったんですよ。でも、そのときはミシンができていたので「いや、ミシンできてるじゃん」と思って。」
うまく文字を書くことができない、奏さん。いわゆる学習障害の一つです。学校では授業での書き取りに苦労し、毎日、居残り勉強する日々を送りました。
一方、イベントでの作品販売を通して少しずつ自信が持てるようになり、誰かに喜んでもらいたいという思いは、技術の向上へと繋がりました。
佐々木奏さん
「ずっとミシンをしていて、気が紛れたというか。ミシンだったら書かなくても全然大丈夫だったから。」