奥能登の農家の出身 135キロの恵まれた体で横綱に

阿武松緑之助は、今の石川県能登町の出身で、1791年(寛政3年)に生まれました。「奥能登」と呼ばれる地域の出身です。実家は農家で、1815年(文政12年)25歳のときに江戸に出ました。

第6代横綱・阿武松緑之助(提供:石川県立歴史博物館)

阿武松は最初は武隈の、のちに錣山の弟子になったとされています。「武隈」や「錣山」は今も年寄名称、いわゆる親方の名前になっています。

身長は173センチ、体重は135キロとされていて、当時としては体の大きな部類に入るといえます。

小車(おぐるま)→小緑(こみどり)→小柳(おやなぎ)としこ名の変遷をたどり、1822年(文政5年)に大関に昇進した際に阿武松と改名しました。

1827年(文政10年)に横綱免許を受け第6代横綱に。1835年(天保6年)に引退したときは45歳だったとされています。

その後は年寄・阿武松として力士の育成にあたり、興行を精力的に行ったと伝えられています。1851年(嘉永4年)、61歳で生涯を閉じましたが、その亡骸は東京の寺院にあります。