平野さん
「裸で逃げてきとる。なにもどうなるかわからなくて、いきなりソ連が攻めてきたからみんな脱出せよ!と」

終戦間際の1945年8月9日。
ソ連は領土の保全や不可侵を取り決めた「日ソ中立条約」を破り、満州に侵攻。
そこで起きた「ある事件」が平野さんの人生を一変させました。

平野さん
「自分の目の前の人が、飛び散って亡くなられる姿を見て、怖くて怖くて記憶喪失になってしまった。5歳で」


1945年8月10日、南満州鉄道・東安駅で野積みにされていた日本陸軍の弾薬が爆発。
日本陸軍が撤退に際し、ソ連軍に弾薬を奪われないように爆破処分した事件といわれています。
この爆発により、着の身着のまま避難列車に乗って逃げようとしていた多くの日本人が犠牲になりました。
その数は石川の開拓団だけでも408人に上ります。


平野さん
「真ん中の車両に乗ってた人たちは亡くなったり、飛び散ってしまったけど、私たちは後ろの方の貨車だったらしい。そこに生き残った者だけで50人ほどずつの一団になって、みんなで歩いて逃げ回ったみたい。直線距離で1700キロほど歩いて引き揚げの葫蘆島まで帰ってくる。ただ帰ってこられるんじゃなくて、満州人たちが襲ってきたり、いろんなことがあって(日本に帰るまで)10か月かかった。」


事件のショックで、当時の記憶を失ってしまった平野さんでしたが、伯父の山田英政さんが書いた手記をもとに、10年前から語り部として活動を続けています。