被災した蔵から持ち出した“おちょこ”

酒造りが落ち着いた3月の輪島市。帰郷した中島さんの姿がありました。

中島さん「おつかれさまです」
ボランティア「おかえりなさい」

留守を預かるボランティアと言葉を交わす中島さん

酒造りで不在にしていた間、わずかに残った建物で留守を預かっていたのは、ボランティアの人たち。倒壊した蔵から酒米を掘り出してもらったご縁です。

新酒に感激した様子のボランティア

新酒を受け取ったボランティアが「これも掘った米でしょ?」と尋ねると、中島さんが「そうです!」と力強く返答します。

しかし、地震で酒蔵が崩れたいま、倉庫に残るのは、被害を免れたわずかな酒と、製造元が輪島市と印刷され使えなくなった梱包用の箱でした。

中島さん「(時は)経ちましたけど、何も変わっていないですよ。何なら、これ全部使える物だったのが、一部でも使えるものを掘り出している、この状態がすごい虚しいですよ。お金をかけたけど使えないという」

倉庫で使えるものを探す中島さん

そんな中で見つかったのが能登末廣と書かれたお猪口。酒蔵再建の資金を集めるために販売するか無料で配るのかで迷っていました。

中島さん「もともと、僕の所のお酒は相当好きでないとわざわざ調べないところにあった酒蔵なので…。能登が被災したからどうのこうのじゃなくて…(買って)応援してくれるのはありがたいんですけど…できるだけこういう蔵があるよと言うのがわかってもらえたらいいなと思いますね。すごく長いスパンで、見てくれている人に対して、ちょっとしたお礼の気持ち、みたいな感じで、そういうのに使えたらなと」

倉庫で見つかったお猪口

蔵の復興について多くを語ろうとしない中島さん。その背景には奥能登がこれまで抱えてきた複雑な事情がありました。