「もっと外部支援を」酒米を掘り出したボランティアに“感謝の酒”

中島さんが帰郷した夜。

蔵に残る輪島塗の器には、掘り出した酒米から作られた新種が注がれます。周りからは「ひゃーおいしそうー」と嬉しそうな声。この日の夜、留守を預かってくれた人たちに中島さん自ら手がけた新酒を振る舞いました。

「能登末廣」の新酒

中島さん「これが皆さんに掘り出していただいたお米のお酒です。ありがとうございました」
ボランティア「かんぱーい」「うまい!」「おいしい!」

自然と拍手が沸き起こります。

一献を味わった直後に拍手が起こる

この日は酒米を掘り出してくれた人にも味わってもらうことができました。

ボランティア「胸ポケットには今も、その時の酒米が入っていて…掘り出しながら、実現してほしいな、お酒になってほしいなと言う思いで作業させてもらいました」

中島さんがボランティアに書いたメッセージ

Q.地震があった日からまちは変わったか
ボランティア「変わってないんですよね…今は行政さんも一生懸命頑張ってくれていると思うんですけども。みなさんほんまに被災して、疲弊しているなかで、一生懸命頑張っているので、やはり、もっと外部支援を入れて、やっぱりそこに力を入れるべきやと思っていますね」

年間の生産量が1万本ほどの小さな酒蔵を襲った能登半島地震。古くから多くの人に愛される姿は被災した今も変わりません。

ボランティアと語る中島さん(左)

中島さん「酒造り自体は好きなので、辞めたくはないですね。…ある程度、みんなが知ってもらえるお酒になった時に、ここに戻せればいいな、としか考えられていないですね。今は。」

酒仕込みに励む中島さん

自分の酒を知ってもらうためにも酒造りは辞めたくないと話す中島さん。先が見えない状況が続くなか、今は小松市の酒蔵から生まれ育った輪島を思い続けます。