■鬼谷慶子 選手
「普通(健常者)は水平に腕を振るんですけど、(腕を)水平を保つのがけっこう難しくて、『下から上に向かって投げる』というフォームにしました」

■鬼谷慶子 選手
「もともと円盤投げをやっていたので、『(健常者の)セオリー通り』に投げようとしてうまくいかない。それは、自分の今の『残存機能』に『全く合っていないフォームだったから』ということで、『今の自分に残っている機能で投げられるフォームを見つけていく』のを、半年以上、そればかりやってきて、それが、けっこうおもしろかったです」

こうして、2022年から本格的に円盤投げに取り組んできた鬼谷選手は、みるみる力を付け、2024年5月の「世界パラ陸上選手権」で14m49cmのアジア記録をマーク。銀メダル獲得とパラリンピック出場を決めたのです。

■鬼谷慶子 選手
「試合中は、『パラリンピックの選考』というのが頭から抜けていて、自分が世界パラ陸上で投げることに“必死”だったので、終わって戻ってきて『パラリンピック出場が決まりましたね』みたいに言ってくださって、『あ、そういえばそうだった』と思って…(笑)それで、やっと実感が『あ、決まったんだな』と、じわじわ、こみ上げてきたという感じです」

パラリンピック出場決定後の6月13日、鬼谷選手は、母校の高知学芸中学・高校を訪問しました。

■鬼谷慶子 選手 生徒に講演
「『何かの間違いじゃないか、一晩寝たら治るだろう』と思いながらいたんですけど、次の日の朝、トイレに行こうと思って立ち上がろうとすると、ひざがガクンと折れて、トイレにたどり着くことができませんでした」

自身が"車いす生活"になるまでの経緯や、パラリンピック出場を決めるまでの心境などを語りながら、後輩たちに、こんな「アドバイス」を贈りました。