■鬼谷慶子 選手
「最初は、『何かの間違いで、一晩寝たら治るだろう』みたいに思っていました『脳幹』に炎症が出る病気で…」
脳内の器官に炎症が起こる「ビッカースタッフ型脳幹脳炎」を発症。体幹機能が低下して姿勢を保てなくなったうえ、左半身には「まひ」が残り、“車いす生活”を送ることになってしまったのです。

■鬼谷慶子 選手
「『背もたれの無い椅子』や『90度の背もたれの椅子』に座ることができない状態で…。『ビッカースタッフ型脳幹脳炎』とわかったのは(発症から)3~4年後で、その間は『日常生活、1日1日が必死』で、いろいろ考える暇がなかったんですけど…。いざ『車いす生活』になった時に、『あぁ、これからどうやって生きていったらいいのかな』って思って…。『出口の見えないトンネルの中にいるような感覚』です」

それでも、家族に支えられながら懸命にリハビリを続けました。そんな日々の中で「パラスポーツ」に出会い、人生が大きく変わり始めます。

■鬼谷慶子 選手
「当時は『家』か『病院』しか自分の“居場所”というのがなくて、社会とのつながりも全然なくなっていたので、『これはちょっとまずいな』と思っていて、23~24歳くらいの時に、リハビリ室でPT(理学療法士)さんにボッチャをやらせてもらったのが、パラスポーツを初めてやったときで、その後『パラ陸上競技で座って投げる種目がある』ことを知って、それでやり始めた」

再び“陸上競技”に打ち込むことになった鬼谷選手。種目は「円盤投げ」で、鬼谷選手の「F53」クラスは、“椅子に座ったまま”投げる競技です。