ホノルルでの感動 「よさこいへの目覚め」
母と自分を引き離した原因はよさこい。そう思い込み、踊りを遠ざけていた裕一郎さんに、高校3年の卒業間近、1本の電話があった。当時ハワイのマウイ島に移り住み、高知とハワイを行ったり来たりしていた母・須賀さんからだった。「裕一郎、卒業旅行でハワイに連れていってあげるから、高知のスタジオにおいで」
海外、しかも常夏の楽園・ハワイと聞いて裕一郎さんは「はい」と二つ返事。そこからは、須賀さんが思い描いた通りの裕一郎さん、よさこいデビューに向けてのシナリオが進められていく。卒業旅行に誘った本当の目的は、ホノルルフェスティバルで須賀さん率いるよさこいチームに参加させることだったのだ。
高知市のスタジオを訪れた裕一郎さん、あれよあれよという間に当時一世を風靡したあの激しいセントラルの踊りを練習させられ、いざハワイへ。そこで魂を揺さぶられる体験をすることになる。
■國友裕一郎さん
「ホノルルのカラカウア・アベニューという目抜き通りに、世界中から観光客が集まっていて、その中を國友須賀が先頭に立って踊るわけです。とにかく長い通りなので体力が限界に達し、途中でやめようかと思ったその時に母が先頭から走ってきて、踊り子に向かってこう言うんです。『私たちは高知からよさこいを通じて愛をシェアするためにやってきたのよ。魂から踊りなさい。思い切り楽しんで踊りなさい』と。心の奥が何か鼓舞されるような言葉で、踊り終わったら、無意識に泣いていました」
裕一郎さんはその時の感動が忘れられず、大学卒業後、母と同じ道を歩み始める。それから10年ほどは、離れていた時間を取り戻すかのように母のアシスタントとして、よさこいやミュージカルの振り付け・演出のサポートをするなど活動を共にした。ダンススタジオも、2010年には高知をはじめ北海道や関東など5か所に広がり、2人は全国を飛びまわる日々を送っていた。

しかし、親子で過ごす時間に終わりが近づこうとしていた。