最愛の母と離れて暮らす日々 踊りは「敵」だった

國友須賀さんの長男・裕一郎さんは、スガジャズダンススタジオの代表として、年間15~20チームほどの振り付けを担当している。そんな裕一郎さんのよさこいデビューは、意外にも遅かった。

■國友裕一郎さん
「よさこいが大きな変革のタイミングだったとき、祖母に連れられて祭りを見に行ったんですが、母が地方車の上で、レオタード姿で大きな羽根をつけて踊っているのを見て、家での母とのギャップに大きなショックを受けて、それがトラウマになってしまったんです。それ以来、踊りを拒んでいたのでよさこいに関わったのは遅くて、18歳の時だったんです」

裕一郎さんが小学2年のとき、両親は離婚。裕一郎さんは父親の実家がある高知市から西へ車で約2時間半のところにある宿毛市に引っ越し、母・須賀さんと離れて暮らすようになった。母の踊る姿にショックを受けたことに加え、母と離れて暮らす原因を作ったのがよさこい、ダンスだと思い込み、踊りを気持ちの中から遠ざけるようにしてきたのだ。

母・須賀さんと 左が裕一郎さん 右が弟の慎之介さん

■國友裕一郎さん
「小学校のとき、ストレスが体に現われる体質なのか、髪の毛が全部抜けてしまったんです。やはり母と離れて寂しかったんでしょうね。だからよさこい、ダンスは、自分たち親子を引き離した『敵だ』みたいな、そんな思いでした」 

しかし、そんな裕一郎さんを目覚めさせるきっかけとなる1本の電話があった