東日本大震災のあの日、葛西さんは当時、働いていた電器店の仕事で大船渡市のリアスホールにいました。

(葛西大志朗さん)
「ここからこう見てね。45号線は車で渋滞なわけ。向こうから人が走ってくるんだ。バタバタ叫びながら、津波だ津波だって。あっちから土煙上げて(津波が)くるわけさ」
震災の直後一番気がかりだったのは当時、指導していた中学校の吹奏楽部の子どもたちのことでした。

表情から笑顔が消えていました。
(葛西大志朗さん)
「こりゃいかんと思った。学校に戻って子どもたちに音楽をやらせたいんだと。心のケアとすれば音楽しかないのではないかと。そしたら今、音楽やる時期ではないとなったわけですよ。今こそ音楽だと。あのすさんだ子どもたちの顔見てどう思うんだ、という話になったわけですよ」

(2011年4月17日)(ふるさとに響け復興コンサート)
「♪見上げてごらん夜空の星を」

葛西さんの思いは子どもたちの心を動かしました。
自分たちの力で地元のみんなに元気を届けたい。

葛西さんのもとには大船渡市や陸前高田市の中高生100人以上が集まり、震災翌月の2011年4月、大船渡市にあるリアスホールの前庭で開催された復興コンサートにつながりました。