そんな角栄氏の初入閣は昭和32年(1957年)、39歳の時。ここから、大臣常連県・新潟の昭和史が始まるのでした。

田中角栄氏の初入閣は昭和32年、岸信介改造内閣のときに39歳の若さで郵政大臣の座に就きました。

角栄氏をはじめ、県選出議員は昭和25年(1950年)から63年間で19人、のべ34回入閣しています。角栄氏が初めて総理になった昭和47年(1972年)の組閣では、村上市出身で旧新潟2区選出の稲葉修氏が文部大臣に。

「政界のご意見番」として名を馳せ、角栄氏失脚後の三木内閣では法務大臣に就任しました。

そして…

当時のニュース映像より
「昭和51年、田中元総理を巻き込んだ一大スキャンダル『ロッキード事件』で、稲葉さんは一躍全国の注目を浴びることになったのです」

稲葉大臣は、警察による角栄氏への逮捕状請求に「政治関与はしない」と毅然とした態度を示しました。