稲葉修氏
―同郷だとか…
「長い間友達だもん、それは寂しいさ。気の毒だとも思うさ。しかしそれはね、私情であって、あそこまでね、証拠が上がってくればね、ふたするわけにはいかない、誰がやったってそうだよ」

しかし、有権者は…
「新潟県で今まで出た代議士のうちに、これほど過疎地を何とかしようと一生懸命、力になってくれたのは田中以外にないでしょう」
「稲葉修、法務大臣の稲葉修でございます。皆さま方から嫌われた稲葉修でございます」

稲葉氏は昭和51年(1976年)の、いわゆる“ロッキード選挙”では最下位当選でしたが、昭和55年(1980年)の総選挙では…
当時のニュース映像より
「田中派や越山会の攻撃の矢面にさらされ、12期にわたり守り続けてきた議席を明け渡すことになりました」

稲葉修氏
「釣りやらせれば一人前だよ、選挙は下手だが。これは話にならんけどね」
―こうしていると気持ちが洗われるような感じ?
「いいですね、はらわたが白くなって、黒いやつにまただまされるよな」














