タラップを降りたとき、母はいなかった

佐渡市で暮らしていた曽我さんとミヨシさんは1978年8月、近所の商店で買い物をした帰りに拉致されました。

2002年、北朝鮮は初めて日本人の拉致を認め謝罪。
曽我さんを含む5人の拉致被害者が24年ぶりに帰国を果たしました。
ただ蓮池薫さん夫婦らに続き、一人でタラップを降りた曽我さんは、どこか浮かない表情をしているように見えました。

「(日本の)調査団が来たときに『お母さんは日本にはいません』と言われてはいたんですけど、でもそれも信じることはできなくて…どこかにいるのかなって思いながら、お母さんのことを考えたり、いろいろなことで頭がごちゃごちゃになっていて」

理由の一つは、拉致された当初「日本に行けば会える」と聞かされていた母・ミヨシさんの姿がどこを探しても見当たらなかったことです。

北朝鮮では「勉強を頑張れば、母に会わせる」「家族ができれば、日本に帰してやる」など、期待させては反故にされ…ということの繰り返しだったといいます。

「日本に帰ってくることができたのは本当にありがたいと思っています。でもその反面、まだ帰国をされていない人たち…もちろんその中にはお母さんもいますし、横田めぐみさんもいますし、そのほかたくさんの方がいらっしゃって、その方々にもご家族があるし、ご家族の気持ちは一番よくわかるので」

曽我さんは、今も北朝鮮で救出を待つ被害者を思うと“いてもたってもいられなくなる”といいます。
一日も早い解決を求め、「少しでも力になれば」と活動を続けています。