「この時計が私のもとにあったから―」
拉致から46年。
ミヨシさんの居場所につながる手がかりが見つからない中で、曽我さんにはいつも手離すことができない、かけがえのないものがあります。
「きょうも腕にはめていますけど…」
取材時、曽我さんがそう切り出したのは、腕時計です。

「私が看護学校にいたときに、どうしても男物の大きな時計を買ってほしいと、わがままを言いまして。当時、男物・女物って区別されていて、女物だったら少し小さいから多少値段は安いんですけど、私はどうしても大きくてちゃんと見えるほうが、患者さんたちの脈を測ったりするのにも便利だなと思って、どうしても大きいのがほしいっておねだりをしまして」
1977年、准看護師として病院で働き始めた曽我さん。
北朝鮮で生活を余儀なくされた24年の間も、ミヨシさんが買ってくれたこの時計を、ずっと大切に持ち続けました。

「家計もすごく大変なときだったので、母が借金をして時計を買ってくれました。その時は、母はすごく大変だったと思うんですけど、今になって思えば、そのときにおねだりをしてどうしても買ってほしいと言ってよかったなと思っています。この時計が私のもとにあったから、悲しいことも苦しいことも、うれしいときにもずっとこの時計に話しかけてくることができたので」