弟の雅也さんは今、東京の大学に通う2年生。経済を学びつつ、バレーボールサークルに所属しています。
高校時代は親元を離れて寮生活をしながら、東京学館新潟高校でバレーボール一筋の日々。憧れのハルコウ(春高)の舞台にも立ちました。そんな雅也さんが、バレーボールを始めたのは、兄の侑也さんがきっかけです。

【田所雅也さん】「兄の入っていたジュニアチームの人数が足りないっていうことだったので…」
最初はサッカーをやりたかったという雅也さんが、ずっとバレーを続けてきたのは、兄・侑也さんの仲間の存在が大きかったといいます。
【田所雅也さん】「兄に母親がずっと病院で付き添っていたので寂しいっていう記憶はあるが、そういった中でバレーボールの練習に行った時に、2コ上の先輩たちとかが結構優しくしてくれて…」
「(どんなお兄ちゃんだった?) すごく弟を優先してくれて、兄弟の間で起きる物の取り合いとかで、いつでも譲ってくれる優しいお兄ちゃん。一緒にバレーやっていた時とかはいつも笑っているような兄だった」

今回応援するユメは「当時お世話になった人に感謝を伝えるとともに、侑也さんの生きた証を残したい」というもの。『ユメ』スタッフは生前、侑也さんがお世話になったというある人に連絡を取りました。
【田所邦子さん】「思い出すので、あまりここに来ないようにしていたので…」
夫の隆さんと共に、少し硬い表情で新潟大学医歯学総合病院の待ち合わせ場所に向かう、田所邦子さん。
侑也さんの主治医だった今井千速医師が、当時先生自身で撮った“侑也さん13歳誕生日の写真”を用意して、ご夫婦を待っていました。

「探したらあって…」
「あー本当だ、懐かしい」
「日付を見たら誕生日の日だったので」
「そのとき侑也もワーって泣きましたよね、歌ってもらった後に」
「喜んでたもんね」
【田所邦子さん】「よくしてもらってるから、いつも笑顔で写ってる」
今井先生も侑也さんのことをよく覚えています。
【新潟大学医歯学総合病院 今井千速医師】「最初の検査は痛いものが多くて、本当にしっかり頑張って弱音を吐かずやってくれたなっていうのを思い返していた」
当時は気持ちの整理がつかず、伝えきれなかった感謝の思いを届けると同時に、入院生活の様々な思い出も蘇りました。
【田所邦子さん】「もう駄目かなって思っても『次こういう治療します』って先生から言っていただけると、また明るい希望を持って頑張ろうとか、奇跡が起きてくれたら、とか思いながら…」

侑也さんの笑顔や、多くの人に支えてもらったことも思い出され、両親の顔は晴れやかでした。
【田所邦子さん】「改めてまた先生と侑也の話ができて、本当に今日は良かったです」