※會田美喜さん「太っていた赤ん坊だった。ほっぺが大きくて丸いのはいまもあまり変わらない」

その描写は會田さんの特徴を的確に捉えています。作品は會田さんの父、相馬貞三が志功の生涯の友だったことで誕生しました。相馬は当時、民芸品を扱う「つがる工芸店」を弘前市で営んでいて、志功は毎年といっていいほど訪れたといいます。

※會田美喜さん「子どもなので『棟方さん』と言っていました。小学生になったら(父が)『お前たちが棟方さんと気安く呼ぶ人ではないのだ。100年に1人でるかでないかのすごい人だ』と言ったけど、棟方志功さんは子供たちには優しかった」

志功は會田さんをモデルにした作品を幾つも残しています。こちらは、親に遊んでもらえず機嫌を悪くしてふくれっ面をしているところを表現しました。

※會田美喜さん「すごいです。一瞬を描くのが棟方志功さんのすごいところ」

こうした作品を描く瞬間を會田さん姉妹は隣の部屋からこっそりと覗いていたといいます。そして、時にこんな会話をくり広げることも。